無芸褪色(仮)

BLOCKBLOGからの流浪の民です。なんてこったい。

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2010/10/29

スーパーテーボー [日記]

スーパー堤防というのが仕分けされたそうだが・・・
そもそもスーパー堤防ってなんやねんと言うところから知らなかったので調べてみたらどう考えても絵空事な整備計画だった。200年に一度の大水害に耐えられる巨大な堤防。いまの30倍のおおきさ?水際から300mも内陸に工事計画用地はめりこみ、そこを完全に盛り土、堤防の一部と成した上で再開発・・・
「土地の所有権はそのままです!」ったって工事終わるまでどうすんねん。埋めて寝かせて区画整備してもういちど街にする・・・数十年単位でそこに住むことはかなわなくなるな。純粋な土木工事以外に立ち退き係争の調停などにどんだけつまんない金が必要なのか考えただけでも目が眩む。すべての予定地で完成するまで400年かかるというし12兆円とかいうしいつGOサインでて作り始めてたの?もう数千億かけてるらしいが・・・。あと400年で12兆だとなんとなく少なくね?一年で300億円いかないのか全国で。こんだけ遠大な計画なのに。
なによりこれ知らなかったのはウカツだったな。恥。

それになによりこれ「200年に一度」に備えた危機感てやつを一定レベル以上で保ちつつ、400年も同じクオリティで工事できるんかと。
オランダの堤防は何百年も作りつづけて今日があるわけだけど、あれは日常的恒常的に「やっべー低いよ国土。高潮で国が滅ぶかもしれんて!」という危機感があり、それが何世代も受け継がれる中での数百年マラソン堤防工事だろう。根本的に工事に対する取り組みの姿勢や真剣さが違うと思うんよ。

ただ治水問題は「仕分けました。廃止です。ジャーン。」ですましていい問題じゃないし。
400年てのはたしかに度肝をぬかれる数字だが、もし本当に「200年に一度の水害」というのに備える必要があるというのなら、そしてそれに400年がたしかにかかるというのなら、どんと腰を据えて何世代にもわたるその大計画はすすめられるべきものだろう。
「400年ものコストに見合う効果は薄いと思われる」というのなら、しっかりと代替案を立てるか、計画の見直しを図るべきもので、無責任にただ廃止したらいいものではなかろう。

ウカツなことに恥ずかしながら今回の仕分けの話題でスーパー堤防のことを初めて知って、その実態がどうにもズサン計画ぽいのでとっとと廃止してほしいが、ことが治水事業なだけにちゃんと今後のことを考えてほしい。

つまるところ、
・治水という長期計画に、廃止廃止の一本槍あとは野となれ山となれスタイルの浅薄千万な仕分けなどという手でふれるな。
・それはそうとこんなズサンなスーパー堤防なんて治水計画てどういうことやねん。まともな計画でやりなおせー

というふたつのことでプンスコせざるを得ない。
たまにまじめなことを考えてみたりもするのである。
なぜならおれの住んでいるところどうも海抜5mないからでな・・・。まあなんかあっても近くの淀川大堰であらかた止まるだろうけど・・・

* * *

ついき

しかしそもそも論として、

「『200年に一度のクラスの水害』というものに対策を立てる必要があるのかどうか」

という議論を見たい。
素人的な考えだと、こんくらいのすさまじい災厄に見舞われたら堤防だけあってもどうしようもない事態に追い込まれているような気がする。国が傾くか無くなるくらいの。
そりゃ災害があるというのならそれを防ぐ!というのは分かるんだけど、さすがに「月が落っこちてくるから防災する!」とか言わないよね。とっぴなこと言うけど。程度問題だが、ようするにそういう「心配してもしようがない」レベルのことに金かけようとしている、ということはないの?という疑問がいま頭に出てきた。

それこそ200年に一度の水害の対策は、すべてあきらめて月にでも移住する、とかのほうがいいんじゃないの、なんつってな。おれは実家帰るくらいにするけど。実家は山の上なんだー。
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  1. 2010/10/29(金) 00:59:22|
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